純さんのスナップショットで四季彩歳

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カテゴリ:カメラ遍歴( 2 )


2009年 01月 01日

お正月特別企画・・・「デジタルカメラ遍歴」

今回はお正月特別企画としまして、「フイルムカメラ遍歴」に続く続編、「デジタルカメラ遍歴」をお送り致しま~す。

フイルムカメラ遍歴の後、デジタルカメラに移行した訳ですが、フイルムカメラ時代の教訓がじぇんじぇん生かされて
ないと言いますか、はたまたデジタルの進歩が著しかったと言うべきか、遍歴と言うにはあまりにも短い間のとっかえ
ひっかえでございました。


【デジタルカメラ遍歴】

当時私は、フイルムカメラ画像をスキャナーでPCに取り込んでレタッチしてプリントするという、写真の楽しみ方を暫く
続けておりました。
当時2400DPIのスキャナーでしたから、換算800万画素だとか勝手に解釈して、当時のデジカメを馬鹿にしており
ましたが、オリンパスのC3030の300万画素画像がフィルムスキャン画像よりも解像力が高く、弄りやすいことに
直面してしまいます。

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当時のフィルムスキャナーの性能が低かったこともありますが、PCに取り込むことで、アナログからデジタルへ変換する
訳で、最初からデジタルの方がPCでの扱いも自然で容易であることに気が付きました。
PC上で、画像の色合い、明るさ、コントラストやトリミングが出来ることの楽しさは、スキャナー画像でも十分に分かって
おりましたので、これからはデジタル暗室の時代だと思い、フィルムカメラを全て手放してデジタルカメラを購入すること
にしました。
当時のデジタル一眼はコストパフォーマンスが極めて低く、高価なのにあらゆる面でフィルム一眼に劣っておりました。
フォーマットも統一性がないままに、各社手探りで商品化していたように思います。
そんな状態でしたから、デジ一にはまだ早いと、ハイエンドデジカメを購入することにしました。

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ミノルタディマージュ7はハイエンドデジカメの先駆的なカメラで、500万画素で、画角も28-200mm相当の当時
最先端の機種でした、15、6万円したかと思います。
このディマージュ7はフォーカスポイントが自由に変えられるなど、画期的な機能も持っておりましたがレスポンスが
鈍く、タイムラグも相当なものでした。
2/3インチCCDと言いながらも画素一つ一つの組成が粗く、白飛びし易かったことと、発色に現実感が乏しかった
こともあり、次機種を密かに探しました。
そんな中、ソニーから満を持してF828でしたか、画期的なズーム一体型のハイエンド機が登場しました。

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CCDのサイズも大きめで、レンズはフイルムカメラで最後まで愛用したコンタックスと同じカールツアイス、そして
T*コーティング。
女房に土下座して買う決心を固めておりましたが、価格コムの掲示板で盛大な偽色(パープルフリンジ)が出ること
を知り、がっくり・・・・。
デジタルの世界は、フイルムカメラ時代のレンズ性能だけでは色々と不具合が出ることを知りました。
それから新しいデジタルカメラも買えず、フィルムカメラにも戻れずの意気消沈した時期を経て、12倍ズームの
パナソニックFZ-10を購入します。

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この選択は価格コムの掲示板によるところが大きいのですが、FZ10の掲示板が当時、一番生き生きしていまして、
理屈抜きに楽しそうなコメントを見て、購入してみることにしました。
ディマージュ7などに較べますと価格も5万円内外と、女房に土下座することもありませんし、やや軽い気持ちで
手に入れました。

しかしこのカメラ、私の中ではエポックメイキングな1台となりました。
小さくて軽くて、当時としてはレスポンスも良く、飛びものも撮れるという優れもので、CCDの小さいコンデジの暈けが
少ないという欠点を、高倍率ズームでカバーしてみせた、実に楽しいカメラでした。
一時はこれに自作シールでLEICAのロゴを作ってルミックスの上に貼り付けたり、フィルターを付けるために社外品
のジュラルミン製手作り鏡胴アダプター、ブタバラアダプターなるものを装着して遊んだりしておりました。

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FZ10の後継機種のFZ20が出る頃でしょうか、デジタル一眼レフの価格もかなり性能に見合うものになって来まして、
価格コムの掲示板でも昨日今日デジタル一眼を購入して一端のカメラマン気取りになった老若男女が、FZの掲示板
を荒らすようになりましたので、私もそろそろデジタル一眼にしようかなぁと機種選定を始めます。

その頃にこのブログを立ち上げまして、そこから先はこのブログと共に現在に至っている次第でございます。

デジ一眼はオリンパスE300、コニカミノルタαSD、キャノンEOS30D、40D、KISSX2と、まだまだ現在進行形では
ありますが、進化の速度も私の物欲も少し緩やかと成って参りまして、本来あるべき写真を撮ることの難しさ面白さを、
漸く味わい始めたところでございます。(笑)

by jikomannte | 2009-01-01 20:15 | カメラ遍歴 | Comments(34)
2004年 12月 25日

私のあさはかなカメラ遍歴

私が自らカメラを操作して写真を撮るようになったのは、小学校の5年生からだったと記憶しています。その頃親父から古いレンジファインダーカメラのアイリス35(35mmf3.5)とセコニックの露出計を譲り受けたのがきっかけでした。
当時はまだカラーフィルムが高くて、モノクロ(ネオパンSS)を使っていました。
撮影の対象は、もっぱら、近所の単線をまだ走っていたSLでした。
小学生のくせに勘で絞りとシャッター速度を選択して、ほぼ適正露出になっていました。
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中学生になった頃から最短撮影距離が短く、パララックスの無い一眼レフが欲しくなり、貯金して、やっとこさアサヒペンタックスSLボディー(予算不足でレンズは買えず)を手に入れました。今は亡き父が、ボディーしか買えない私を見るに見かねて、SPボディーと55mmf1.8、135mmf3.5を買ってくれました。
当時親父は自分用だと言い標準レンズだけを貸してくれましたので、当時は本当に父が使うのだと思っておりましたが、今にして思えば、50mmの画角をまず身に付けろ、カラーの時はSPのTTL露出計を参考にしろと言う、父親の愛情だったと思います。

実は父は、私や兄が小さい頃まで、写真家になる夢を持っていたようで、九州ではコンテスト荒らしで有名なハイアマチュアだったようですが、子供の成長と会社で管理職になったことを転機に、収入の保証の無い写真家の道を断念したのだそうです。
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それから私はペンタのSLに標準レンズで、カメラマン気取りの日々が始まります。
修学旅行にも持参しました。虫メガネでマクロの真似事もしました。
蒸気機関車の撮影中に知らないおじさんカメラマンから接写リングを頂いたりしました。
しかし、当時のメインの被写体が蒸気機関車でしたから、蒸気機関車の消滅とともに、私の写真熱も冷めて行きました。

私が再び写真を楽しむことになったきっかけは転職でした。
最初の就職先は遠い親戚が経営する会社でしたが、自分に合わない気がして4年目に、大学の恩師の紹介で今の会社に転職しました。
転職の際の約半月の休職期間に、兄が気分転換に風景写真を撮りに行かんかと言うので、丁度ゴールデンウイーク中だったこともあって、一緒に行くことにしました。
ペンタ君は既にカビが盛大に生えていましたので、兄のニコンEMと言う軽量コンパクトなオートの一眼レフを借りての撮影行でした。実に楽しく昔の感覚が蘇りました。
それからです、本格的な写真撮影では無く、カメラ遍歴が始まるのは(笑)
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兄に借りたのがニコンEMだったこともあり、中古でニコンFEを購入しました。
新品で35~105mmf3.5~4.5の直進式のズームを購入しました。
暫くそのセットで撮影を楽しんでおりましたが、独身貴族だった頃でしたので、ニコンのF3も買いました。モータードライブも買いました。100~300ズームも買いました。三脚、ストロボも買いました。
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それから風景写真を撮るなら、35mmでは小さいと思うようになり、ゼンザブロニカの645ETRSにEEプリズムフアインダー、スピードグリップ、レンズも広角、標準、中望遠と揃えました。
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そのうちワンショット毎にミラーアップし、次の巻上げでミラーが降りてくるブロニカの機構とシャッター速度の上限1/500でしたかに不満が生じ、ペンタックスの6×7に行ってしまいました。

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ペンタの6×7はレンズも3本調達し、新婚旅行にも持参しました。旅行先でも写真三昧でしたので、成田離婚寸前の状態になってしまい、早々に売却処分する羽目になってしまいました。
そろそろマニュアルよりAEが使いやすいと思い始めていたこともあり、プリズムファインダーの露出計が中間リング式のテレコン装着時に作動不良が頻発したこともあって、6×7を手放すことに未練はありませんでした。
次に買ったのはペンタの645でした。これはかなり気に入って使っておりました、露出補正が一段ステップ以外は(笑)
いつでも、出かける時はペンタの645と言うのもきついので、ニコンのAF一眼も買いましたが、名前は忘れました。これは新婚旅行のやり直しのオーストラリア旅行に持って行きました。

その頃兄はカメラをコンタックスに変えていまして、なんでコンタックスなの?と聞きますとカールツアイスレンズが使えるからと言うことでした。
そういえば、私が子供の頃、親父がライカだコンタックスだツアイスイコンだローライフレックスだと言っていた微かな記憶が呼び覚まされました。そして、兄がコンタックスで撮影した彼岸花を見て、その赤の発色と写真全体の、現実感がありながらの鮮やかさに驚きました。

それから、私もニコンAF一眼を手放して、コンタックスST、S2、167MT、RX、アリアに、テッサー45mm、プラナー50mm、85mm、100mmマクロプラナー、バリオゾナー28~85mm、35~70mm、28~70mm、80~200mm、ゾナー135mm、ディスタゴン18mm、25mm、28mm、オリンピアゾナー180mmと、お決まりの転落の道を辿ります。(爆)

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また、コンタックスは一眼の他にコンパクトも、T2、TVS、TVSⅡと行きました。
リコーのGR1も行きました。嵩張るカメラを持つと、普段用に高性能コンパクトもと思うのが、カメラおたくの常道のようです。(笑)
この頃ですね、上の娘のポートレイトとかを、ボケ味が堪りましぇーんなどと思いながら撮っていたのは。リバーサルで中望遠の開放に近い絞りで、明るい方の頬をスポット測光して、プラス1補正とかにして撮影し、イッパシの写真家気取りでした。

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そしてその内に、カメラは趣味なのだから35mmでいいじゃないか、と思うようになって、中盤カメラ(ペンタ645)は手放すことになります。
コンタックス一眼は比較的、永く愛用しましたが、コンパクトの方はどれも長続きはしませんでした。コンパクトは本当にピントが来ているか、現像上がりを見るまで不安なのと、近接時のパララックスが性に合わなかったと記憶しています。

もともと近眼に乱視でしたが、これに近年、老眼が加わりまして、マニュアルフォーカスの自信が揺らぎ始めてまいりました。
会社のイベントなどで頼まれる撮影に、安全性を求めてペンタックスのMZ3を手に入れました。レンズはシグマの28~70F2.8~4と70~200F3.5~4.5アポマクロにしました。
シグマのアポマクロは発色や解像感など、良かったと今でも思っています。
最近、こうゆう中途半端な明るさの中庸を射たズームがありませんね~。

二人目の子供が出来、賃貸マンション暮らしが手狭になり、実家で一人暮らしの母も心細いことを言うようになり、この際、家を建てて一気に解決しようかと言うことになりました。
それから土地を見つけて家を建てるまで、ローンのことや子供の学費のことなど、現実の問題として考えるようになり、その頃フイルムスキャナーでパソコンに画像取り込みを始めていて、当時のスキャナーに限界を感じていたことも手伝って、カメラはコンパクトデジタルにして、フイルムカメラからは足を洗うことにしたのでした。

コンパクトデジカメは、オリンパスのC3030に始まって、ミノルタのディマージュ7からソニーのT1、パナソニックFZ10、そして現在は女房用にペンタのオプティオS40と、私はパナのFZ20になっているのでした。我ながらお馬鹿な遍歴です、ハァ~ア。

by jikomannte | 2004-12-25 18:53 | カメラ遍歴 | Comments(17)